小倉織(こくらおり)と築城則子(ついきのりこ)さん
私の手元に、『築城則子 縞』がある。先日、築城さんに、お会いすることが
あって、いただいた冊子。気に入って、時々ページをめくっている。
「小倉縞帯」、「練貫着物」、「紬織着物」それぞれに、
「面影」、「悠」、「月の弦」・・・と名前がついている。帯や
着物の気品ある力強い存在感。どんな人が、どんな時に着るのか、
どんな風に着こなすことができるのか、想像は広がる。
北九州市には素晴らしい多くの女性がいる。また、凄い人に
出会った。築城さんは、一度生産が途絶えた小倉織を見事に復元・再生し、小倉織に
新たな命を吹き込んだ。本格的に染織に進んで約40年。
現在に通用する築城則子さんの小倉織の世界を切り開いた。
私が知っていたのは機械織の汎用品「縞縞 SHIMA―SHIMA」シリーズの
風呂敷、財布。この機械織だけでなく、本来の手織りもご自身の工房で制作している。
それが、この冊子の作品。さて、どんな風につくられるのか。織る前の糸を並べる作業
から始まり、3日徹夜は当たり前で、日が昇り、日が沈むまで工房に篭りっきり。色の
組み合わせは、自然や音楽からヒントを得るという。その様子を築城さんは次のように
語っている。
「デザインの前に瞑想の演奏会が始まる。流れる水を掬いあげるように、ゆっくり、
大切にイメージを抱けたら、コンダクターは任せるばかり。縞宇宙の内側で、曲想が
導く最終楽章まで自由で心浮きたつ時を過ごす。」と
小倉織との出会いは、地元の骨董店で、なめし革のような質感のまるで絹のような
光沢を持つ不思議な布との出会いから始まった。築城さんは、その出会いを現在の
小倉織にまで完成させた。小倉織の世界をずっと追求して、極める。すごいなあと
思う。そんな女性が北九州市にいることを、是非ご紹介したいと思った。
築城さんは、一度創った作品は、すぐに忘れると言われる。これは、前に創った作品
には、もうこだわらない。次に進んでいくということだと思う。
さて、次にどんな作品が生まれるのか、楽しみにしたい。