「青鞜」創刊号と「山の動く日来る」
「山の動く日来る かく云へども人われを信ぜじ 山はしばらく眠りしのみ その昔において 山は皆火に燃えて動きしものを されど、そは信ぜずともよし 人よ、ああ、ただこれを信ぜよ すべて眠りし女(おなご) 今ぞ目覚めて動くなる」
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この詩は、歌人 与謝野晶子が歴史的な雑誌「青踏」創刊号(1911年)に寄せた9ページにわたる「そぞろごと」の冒頭部分です。北九州市立男女共同参画センター(当時 北九州市立女性センター)“ムーブ”の開所に際して、当時の財団法人アジア女性交流・研究フォーラム高橋久子初代理事長から、この冒頭部分の自筆の書を寄贈いただき、2階ホール入口横に掲げられています。ムーブ開所時の熱い思いが伝わってきます。
ムーブにお越しいただいた時には、是非、ごらんください。先月、書だけでは読みづらいとの、皆様の要望を受け、読みやすいようプレートを作成しました。
なんと、このプレート作成を契機に、ムーブ図書室に、「青踏」創刊号から最終号第6巻第2号までの復刻版の存在を知りました。冒頭の「そぞろごと」からページをめくっていくと、有名な平塚らいてう の「青踏発刊に際して」が、16ページ続きます。
「元始、女性は実に太陽であった。真正(しんせい)の人であった。
今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。・・・」と、
遠い昔の私の青春時代、1970年代、女性解放運動(ウーマンリブ運動)が盛んな時代に、始めてこの言葉に触れ、感動を覚え、励まされました。この創刊の辞は、日本の女性解放史上の最初の宣言とされ、今も多くの女性を励ましています。
ようやく、雑誌そのものに出会うことができました。・・・表紙は、高村光太郎の妻となる高村智恵子(当時 長沼智恵)が描いたという黄色地に青踏の文字と、女性の立ち姿です。
さて、今に時間を進めると、女性たちの周りは、今が最後のチャンスと、「女性が輝く社会を目指して」と盛んに叫ばれ、取り組みが始められています。山は動くのか。
さて、上記の「山の動く日来る」は、
「一人称にてのみ物書かばや
われは女ぞ
一人称にてのみ物書かばや
われは われは」 と続きます。
自分の責任で、自らの言葉で、表現する。それは女と、声高らかに謳っています。
山を動かすのは、私たち女性自身でもあるのです。