福島のかーちゃん、渡邊とみ子さん

投稿者:所長 2017年03月29日

 

 今月のブログは随分遅くなってしまいました。今回は、先月25日アジア女性交流・研究フォーラムが開催したワールドリポート「女性と防災」のパネリスト渡邊とみ子さんをご紹介します。

 

 これまで、防災に関する情報を取り上げ発信してきましたが、福島のことは気になりつつ取り上げていませんでした。自然災害と原発災害によって4重の被害、震災、津波、原発、風評を被ったという福島の女性たちはどうしているのか。今回ようやく、福島のかーちゃん、渡邊とみ子さんに来ていただくことができました。

 

 渡邊さんは、「かーちゃんの力・プロジェクトふくしま」理事、「いいたて(ゆき)()()かぼちゃプロジェクト協議会」会長をされています。

 「平常時の自分の生き方、暮らし方が災害時に役に立つ」。女性も地域のリーダーとなって地域のことは自分たちで考えていくことであると、渡邊さん自身、震災前から地域のリーダーとして活動されていました。平常時の渡邊さんの生き方が、災害時に役に立ったのだと講演を聴いて納得しました。

 

 渡邊さんを大きく変えたのは、全国の市町村合併です。渡邊さんの住む(いい)(たて)(むら)にも合併の話があり、渡邊さんは合併の任意協議会に飯舘村を代表して参加されました。協議会の委員の女性は渡邊さんひとり、渡邊さんはそのとき、自分の住む村について真剣に考えました。結局、飯舘村は合併せずに小さな村として残る道を選びます。

 

 飯舘村は、「までいライフ」を目標にかかげます。「までい」とは「ゆっくり」「ていねいに」「てまひまかけて」という福島県北部の方言です。

飯舘村は、太平洋からの海風「やませ」が流れ込み、夏には思うように米がとれず、冬になると氷点下15度まで冷え込む寒い地。「安定して栽培できて、おいしいじゃがいもを作りたい」という思いから、イータテベイク研究会が立ち上がり、渡辺さんは会長になります。イータテベイク研究会は、「寒い時期にも出荷できるかぼちゃがあれば、生産者も消費者も助かるのではないか」ということで改良された「いいたて雪っ娘」の栽培も始めます。

 イータテベイクやいいたて雪っ娘は、美味しく、お菓子作りに向いているので、栽培するだけでなく、加工して販売しようと加工施設「までい工房()(さい)恋人(れんと)」を作りカフェスペースも併設しました。

 

 そういうときに原発事故。飯舘村でイータテベイクやいいたて雪っ娘が生産できないことになり、避難先の福島市で育てることになりました。福島市の休耕田で、いいたて雪っ娘の種まきをしました。休耕田は、飯舘村の土と違って、粘土がかたまって、まるでだんごのよう。でも丹精こめて、土を耕やし、いいたて雪っ娘を育てました。その甲斐あって、ごろごろした土にもまけず、育っていってくれました。 

 

 そういう渡邊さんのところに、力強い応援団が現れます。福島大学の先生からの呼びかけで「かーちゃんの力・プロジェクト」が始まりました。渡邊さんは、以前から交流のあったかーちゃんたちを、仮設住宅に足を運び訪ね歩きました。その結果10人ほどのかーちゃんたちが集まってきて、活動拠点「あぶくま茶屋」での活動が始まりました。

 第一弾は「(ゆい)もちプロジェクト」(もち米は、新潟中越地震の被災者からの応援)。泣いていたお母さんに笑顔がもどってきました。せっかくお母さんが笑顔になったのだからやめられない。漬物などの加工品や、いいたて雪っ娘も直売所に出しました。「飯舘」っていうだけで、放射能汚染のマイナスのイメージが強い。食べる人の健康を害することはできない。自分たちの販売する食品は、必ず放射性物質の検査をして、安全性を確認することにしました。「飯舘村の名前を出すなら、とみちゃんの中で、安心安全の基準を決めな」、まわりの人にそういわれ、決めた基準が、国の基準1キロ当たり500ベクレルに対し、20ベクレル以下です。

 

 イータテベイク、いいたて雪っ娘の種をつなぐと同時に渡邊さんは、阿武隈地方の「()み文化」を伝えたいという思いもあります。凍み大根、凍みもち、阿武隈のかーちゃんの食文化も伝えています。

 

 もう5年経ち、助成金が切れたあとの自立の取り組み、そして今度はもうひとつの試練、4月から飯舘村は避難指示解除で、帰村ということになります。戻る人、戻れない人、様々です。渡邊さんは当面福島市で「いいたて雪っ娘」を栽培するそうです。4月から、福島市で生活しながら飯舘村でも、いいたて雪っ娘の実証栽培をしていくということです。

 

 渡邊さんは、「すべての答えは現場にある、何かをやろうとすれば困難にぶつかることもある、何もやらなければ、何も残らないし、何の成長もない。とかくやらないほどりっぱな理由づけをします。あの時、原発を理由に、いいたて雪っ娘を蒔かなかったら今がない。ふるさとを作ってきた先人たち、かーちゃんの歴史に学んで、飯舘に生きてきた、そういう誇りを持って生きていきます。」と言われました。

 震災前から、震災後も、そしてこれからも、地道に、前に進む渡邊さんに福島の希望を感じます。

 

 私の手元には渡邊さんからいただいた『あきらめないことにしたの』という本があります。冒頭に出てくるのが、次の詩です。苦しくても、決して「あきらめない」渡邊さんです。いつかまた、渡邊さんをお訪ねしたいと思っています。

 

 

  沢山悔しい思いをしたよね

  沢山、沢山泣いたよ

  でも、生きてる

  やっぱり止まっては駄目だよ

  どんなに小さな一歩でも前へ進んだら

  ほらね。実ってくれたんだもの

  植物は、こんな状況の中でも

  頑張って生きているんだもの

  だから私は

  あきらめないことにしたの