「青鞜」創刊号と「山の動く日来る」

投稿者:所長 2014年09月26日

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「山の動く日来る

かく云へども人われを信ぜじ

山はしばらく眠りしのみ

その昔において

山は皆火に燃えて動きしものを

されど、そは信ぜずともよし

人よ、ああ、ただこれを信ぜよ

すべて眠りし(おなご)

今ぞ目覚めて動くなる」 

 

 

 

 

 

「そぞろごと」(書)

 

 この詩は、歌人 与謝野晶子が歴史的な雑誌「青踏」創刊号(1911年)に寄せた9ページにわたる「そぞろごと」の冒頭部分です。北九州市立男女共同参画センター(当時 北九州市立女性センター)“ムーブ”の開所に際して、当時の財団法人アジア女性交流・研究フォーラム高橋久子初代理事長から、この冒頭部分の自筆の書を寄贈いただき、2階ホール入口横に掲げられています。ムーブ開所時の熱い思いが伝わってきます。

 ムーブにお越しいただいた時には、是非、ごらんください。先月、書だけでは読みづらいとの、皆様の要望を受け、読みやすいようプレートを作成しました。

 

 なんと、このプレート作成を契機に、ムーブ図書室に、「青踏」創刊号から最終号第6巻第2号までの復刻版の存在を知りました。冒頭の「そぞろごと」からページをめくっていくと、有名な平塚らいてう の「青踏発刊に際して」が、16ページ続きます。

 

 「元始、女性は実に太陽であった。真正(しんせい)の人であった。

今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。・・・」と、

 

 遠い昔の私の青春時代、1970年代、女性解放運動(ウーマンリブ運動)が盛んな時代に、始めてこの言葉に触れ、感動を覚え、励まされました。この創刊の辞は、日本の女性解放史上の最初の宣言とされ、今も多くの女性を励ましています。

 ようやく、雑誌そのものに出会うことができました。・・・表紙は、高村光太郎の妻となる高村智恵子(当時 長沼智恵)が描いたという黄色地に青踏の文字と、女性の立ち姿です。

 

 さて、今に時間を進めると、女性たちの周りは、今が最後のチャンスと、「女性が輝く社会を目指して」と盛んに叫ばれ、取り組みが始められています。山は動くのか。

 

 さて、上記の「山の動く日来る」は、

 

「一人称にてのみ物書かばや

 われは女ぞ

 一人称にてのみ物書かばや

 われは われは」       と続きます。

 

自分の責任で、自らの言葉で、表現する。それは女と、声高らかに謳っています。

山を動かすのは、私たち女性自身でもあるのです。

 

青鞜表紙