小倉昭和館 3代目館主 樋口智巳さん

投稿者:所長 2016年03月01日

フィルム桜

 

 2月13日(土)は、ムーブ・レディス映画祭、ムーブとレディスやはた、レディスもじの3館連携事業で、昨年に引き続いての映画祭でした。今年度は「前向きに生きる女性の姿」がテーマ。ムーブは『ミス・ポター』、レディスもじは『くじけないで』、レディスやはたは『折り梅』。どの映画もたくさんの方々に参加していただき大好評でした。

 

 ムーブでは、上映に先立ち、小倉昭和館の館主 樋口智巳(ひぐちともみ)さんにお話をしていただきました。

 今回は、3代目として、小倉昭和館を守ろうと奮闘する樋口さんのことや小倉昭和館のことをご紹介したいと思います。

 

 小倉昭和館は、1939年、芝居小屋として開館し、今年で創業77周年。娯楽のない時代に「人々の喜ぶ顔が見たい」と樋口さんの祖父が始めました。片岡千恵蔵、阪東妻三郎、長谷川一夫など多くの役者さんと親交があり、特に片岡千恵蔵さんとは親友のような間柄で、1953年の北九州大水害の時には、心配した京都の千恵蔵さんから電話があり、状況を聞いた千恵蔵さんは「今から四条河原町に行って街頭で北九州の為に募金活動をする。」と言って、本当にしてくださったそうです。

 

 戦後、芝居小屋から映画館に改装し、1955~1960年頃の映画全盛期には、小倉昭和館のほかに日活館、松竹富士館、木町東映の4つの映画館を運営するように。富士館を除く3館の合計で1日1万人のお客様が押し寄せた日もあり、金庫も満杯で鑑賞料のお金を一斗缶に詰め込んで保管したこともあったということです。

 

 しかし、時は流れ、映画は斜陽の時代に。小倉昭和館以外の3館は閉館、昭和館も半分をパチンコ店に改装。その後、1982年にはパチンコ店を辞めて「小倉昭和館1号館、2号館」体制に改装し、子ども向けアニメのヒット等で何とか経営を継続。

 

 近年は、シネコンの台頭で2003年には昭和館以外、北九州市内の映画館は全てシネコンになっていきました。このような厳しい環境の中、小倉昭和館は独自の路線で運営。シネコンと同じタイミングで同じ新作を上映しても太刀打ちできません。2本立てにこだわり、シネコンが上映しなかった作品「北九州初公開」の作品を積極的に上映しているということです。

 

 映画館は十数年間赤字で、他の部門の利益の補填でなんとか運営しているという状況。「映画館は”家業”守っていきたいと思っている。」その気持ちを決定づけたのが、高倉健さんからの手紙でした。健さんの遺作『あなたへ』にエキストラ出演した際に、小倉昭和館でも高倉健特集を行っていたことをご存知で、「私の映画を上映してくれてありがとうございます。」と言って握手をしてくださった。

 その後、健さんにお目にかかれたお礼と、映画館を継続させるかどうか悩んでいるとお手紙すると、健さんからのお返事がきました。「現実は厳しいと思いますが、どうぞ日々生かされている感謝を忘れず、自分に嘘なく生きてください」と…。その手紙でこのまま映画館を続けようと、決意を新たにされました。

 

 お客さんに楽しんでもらえるにはどうすればよいのか。上映作品の監督や原作者、出演者の方々のシネマトークや舞台挨拶を企画したり、上映作品にちなんだ食品を販売しています。コーヒー焙煎世界大会優勝者の協力で小倉昭和館オリジナルブレンドコーヒーも製作販売しました。

 また、西鉄バス、清張記念館、北九州市立文学館など、さまざまな団体とのコラボレーションも積極的に展開。北九州マラソンにちなんだ映画やマラソンランナーのトークショーなど斬新な企画は尽きず、館主樋口さんの小倉昭和館から目を離せません。

 劇場のレンタルや、デートで貸切なんてこともできるそうです。

 

 映画好きの私としては、もっと書きたいのですが、今回はこれまでです。

 

 

樋口